※これまで「1938年製角形」と表記していましたが、その後の調査の結果、1940年〜1946年頃のものと考えたほうがよいことがわかりましたので、タイトルも変更します。
戦中期のハクキンカイロを紹介します。
モデル名は「角形」です。現在のPEACOCKと大きさ、形状はほぼ同じです。換火口はPEACOCK用で代用できると思いますが、万一つかなかったときはこちらをごらんください。
なお、形状や材質の異なる似た型も、当時は同じく「角形」と呼ばれていました。
現行PEACOCK火口をつけるとかなり過熱します。その場合、フタにアルミテープを貼って調節してください。
パッケージの中身です。実際には、本体はパラフィン紙のようなものに包まれ、封がしてあります。フタと本体の間にあるのは火口です。当時は火口はこのように、厳封されてパッケージングされていたようです。別珍袋は緑色です。フタには相変わらずハクキンのロゴはなく、引出式モデルと同じパテントナンバーの表示があります。それと、フタの反対側には「STAINLESS
STEEL」という表記があります。サイト作者の手持ちのモデルの中で唯一、磁石につきました(フタ、本体とも)。火口は磁石にはつきません。現在のものは真ちゅう製ニッケルめっき仕上げですので、材質が異なるようです。
カップは12.5mlと今と同じ容量になっています。2杯で丸一日もつのは今の機種と同じです。
戦前のモデルにしては大変に珍しく、孔雀の羽が9本しかありません。(1923年〜1971年までのほとんどのモデルは、羽は11本)
封を切った火口と、横から見た本体とフタです。まだ一体成型にはなっていなくて、張り合わせモデルであることが分かります。フタの穴の位置なども変更されているようです。張り合わせ部分がクチのところで途切れているのが分かります。何故このような接合のしかたをしているのかよくわかりません。ここには写真はありませんが、火口の封はそのまま火口の取扱説明書にもなっていました。販売品の換火口と同じものを、そのまま製品の中にも入れていた、ということのようです。
本体の箱と、定量器(計量カップ)の裏の表示です。当時から孔雀がトレードマークだったことが分かります。定量器の文字は「カイロをヨコにして/靜かに注げば溢れません」と2行で書いてあります。
当時の説明書(左)、換火口封印(右上)、換火口取扱説明書です。本体の説明書は両面刷りでした。孔雀に「白金」の文字のマークは当時から既に使っていたことが分かります。ただし、「白」と「金」の文字が今とは逆です。謎のおっさんマークはありません。
説明書の超拡大図はこちら。
説明書表面 説明書裏面 換火口説明書
また本文をテキストに起こしたものがこのページの最後にあります。
少しもったいないなとは思いつつ、点火してみました。この火口は新品時は白いのですが、一度でも点火すると黒くなり、永久に色は戻りません。写真は、右端にライターで点火したところ、反応が中心まで進んで、色が徐々に変わりつつあるところです。65年前に製造された製品ですが、このようにちゃんと点火しました。んでもって、ちゃんと暖かいです。
なお前述したとおり、このモデルは現在のPEACOCK火口が使えますので、付属火口がだめになっても安心です。
定価は1円50銭でした。1923年(大正12年)、最初のハクキンカイロの定価は5円だったので、だいぶ安くなっていることが分かります。
参考までに当時(1938年)の物価は、食パン17〜18銭、アンパン5銭、ジャムパン10銭、米1升35銭(1935年)、これはキロ当たりに直すと25銭になります。駅弁上等30銭(1935年)、ビール大瓶37銭(1937年)。1923年(大正13)、ハクキンカイロ新発売当時に比べ、表向きは物価にはあまり大きな変動はありません(闇市場のことは分かりませんでした)。アンパン30個で、ハクキンカイロ1個というと、そんなもんかなあと思います。(2003年現在、銀座木村屋總本店のあんパンは1個100円です)(※ハクキンカイロの価格は、1938年も1940年も同じです)
この時代は、1938年には国家総動員法ができ、日中全面戦争(当時は支那事変といいました)の影響から、だんだん物資がなくなってきた頃です。1938年には、まず最初に綿が(3月1日、綿糸配給統制規則)、続いてガソリンが(3月7日、揮発油・重油販売取締規則)この年、切符制になっています(戦前の切符による供給制限はこの年の綿が最初です)。さらに金属製品規制(6月28日、銑鉄機械器具製造禁止)と、燃料・綿・本体と、ハクキンカイロに使用されるすべての品に供給制限が始まった年です。理髪店はバリカン以外、カミソリ、アイロン製造禁止。ナイフ、フォークも製造禁止で竹製のもので代用、という年にもかかわらずハクキンカイロが製造禁止にならなかったのは、軍用品だったので規制の網を外れたためでしょう。ガソリン配給制に伴い木炭バスが走りだしたのもこの年です。仮にカイロは手に入っても、燃料の調達には苦労した時代だったようです。
この製品が作られたと思われる1940年以降になると、さらに統制はきびしくなります。定量器が陶器なのも規制のおかげだと考えられます。この年、ハクキンカイロは、ハクキンカイロは統制から外れているので安心して買える、という広告をわざわざ出しています。保健衛生上必要なものとして、統制から外されたようです。ただ実際には、軍とのかかわりが大きかったという理由もあると思います。価格統制にはひっかかっていて、一円五十銭の定価は上げられなかったようです。このモデルのみがステンレス製なのは、金属製品規制と関係あるでしょう。
まだ日米開戦前なので、説明書も英文入りです。中国語でも書いてあります。
換火口は20銭です。
火口は一度でも使うとこのように灰色になり、色は元に戻りません。それ以上に変化が激しいのが、本体内部の綿です。1度しか使っていなくてもこのようにかなり強烈に焦げます。現在のモデルに比べ、綿と火口本体の間隔が狭く、そのおかげでこの部分が強く焦げるようです。
当時の朝日新聞縮刷版で確認したところ、1926年(大正15)のシーズンから1943年(昭和18)のシーズンまで広告を出していました。これ以前は図書館に縮刷版がなく確認できませんでした。価格表示のある広告に限って言えば、1931年から1940年まで、「定価一円半・費用1日1銭」のキャッチコピーは変わっていませんでした。ハクキン眼炉の販売時期は1938〜1939年のシーズンまでで、その後広告には現れません。価格は、角形(並形との表記のある広告もあり)一円半、角小形一円二十銭、小判形一円が、1931年〜1940年のシーズンまで変化のない定価のようです。ただし、末期、小判形は広告に出ていません。(1938年のシーズンまで販売されていたことは確認済み)1939年は角小形の広告が消えていますが終売なのか製造停止なのかは不明です。
1941年のシーズンは、いきなり軍需省の白金(もちろん金属の白金です)所持者は逮捕されるので所定買い上げ所に出頭すべしみたいなすごい広告が出てます。軍は白金がどうしても欲しかったようです。そんなわけでもう懐炉どころじゃない時代でしたが実はしっかりハクキンカイロの広告はまだありました。ハクキンは戦中に戦闘機のエンジンを暖めるカイロを作っていたそうなので、一部の白金はそれ用にまわされたことでしょう。
この時代、ハクキンカイロに使うための物資は全部統制品になっていましたが、ハクキンカイロは統制から保健上必要なものとして統制から外されました。ので、製造は(1945年3月13日の大阪大空襲までは)続いたようです。
戦前、ハクキンカイロ(当時の屋号は矢満登商会)が大量の広告を出していたことはよく知られています。そこで、当時(1938年),どれくらい出していたのか調べてみました。
1938(昭和13)年11月〜12月にかけて、東京朝日新聞に掲載されたハクキンカイロの広告は、実に9回でした。さらに、文面、イラストが毎回変わるという凝りようです。11月3日(明治節)の広告の文面は「保温の王者は慰問の王者」。ほかに「傍観の新鋭器ハクキン」(11月30日),「寒い教室ハクキン持つ子元気なり」(11月25日)等がありました。絵のモデルは角小形ですが、広告には「一円半・一円」との表記があり、旧モデルである小判形の定価も書いてあります。また、必ずハクキン眼炉の広告も一緒についていました。
翌年、1939(昭和14)年12月31日になると、「キハツ代用アルコールベンヂンでも高温発熱」とあまり威勢がよくありません。どうやら小判形は1938年までで製造停止になったらしく、「一円半」の文字しかありません。またこの年の広告からは慰問袋という文字が消えていました。理由は分かりません。
さらに1940(昭和15)年になると、ハクキンカイロの広告はあまりなくなります。やっと見つけた文面は「火鉢は邪魔だ〓下保温の熱力 キハツ・アルコール・ベンヂン何れも良」(〓は判読不明文字。「保温」に「ハクキン」のルビあり)。推測するに、火鉢なんてものは供出してしまって、カイロで温まれ、とも読めます。定価は物価統制で値上げができないので相変わらず一円半のままです。
参考までに、1938年11月3日付東京朝日新聞の広告です。
一部の漢字は今のものに改めてあります。
※は、サイト作者の注釈です。
なお原文にはほぼ全文に渡りルビが振ってあります。
ハクキン懷爐 使用説明書
愛用各位の賛辞に浴し
日常生活必需の保温具として、或は醫療的方面に、また、遠く戰線将士の戎衣を温めるなど「懷爐はハクキン」の決定的賞賛を博しつゝ、幾多、尊き歴史と實績を保持する本品が、貴下ご愛用の掌中に収まるを無上の光榮と致します。
ハクキン懷爐の優れた機能と神秘無限の營みには絶對、眞似のできない諸點があります。
同時に發賣以来、一千萬以上の愛用者各位が等しく『保温の王者』と賞讃される、偽らざる長時間持續の保温恒熱の作用や、何時でも間に合ふ、火口並に取換綿その他附屬属品の完全なる、全國配給はそのご愛用を一層確實に致しました。
五年、十年、廿年、ハクキンの生命は無限『正しき使用には故障絶無』と、茲に説明の小篇を附し、本品の實用性を、八方御推奨の程願上げる次第であります。
本舖 矢滿登商會
大阪・靱
正しき使用に故障なし
1 良質のキハツ油
キハツ油は赤貝印級の上質のものが適當ですが、局方アルコール・局方ベンヂン・市販のガソリンの上質のもの(無水アルコール三〇%含有まで)使へます。
2 適量コツプ
キハツ油は添付のコツプ二杯で(凡そ一晝夜)保温をするのですから時間に應じて注油して戴くと便利です。
3 注油は適量
油槽は二十五瓦(コツプ二杯)以上は入りませんから多過ぎると使用中に油が流れ火傷の恐れがあり火口を浸らせて發熱せなくなります。
4 火口の扱ひ方
懷爐の蓋をとつて圖の如く火口を縱につまみ口より取りはずします火口は發熱の生命ですから中に装填した白金綿に觸らないで下さい。
5 注油の仕方
懷爐を斜に持ちコツプの先が中の綿に觸れる樣に靜にキハツ油を少し宛入れて下さい。火口の上から直接注油してはなりません。
6 注油の後で
圖の如く眞中を強く押へて余分のキハツ油の滴を落すつまり適量を檢すために搾るのです、キハツ油が多すぎると故障を起す因です。
(※カイロを逆さにして指で余分の燃料を搾る絵が載っています)
7 マツチで發熱
圖のやうにマツチを二三本一度にスリ火口の端へ暫くあてがふとチラチラと赫き始め發熱を營みます
8 炭火で發熱
點火は炭火でも出來ます。眞赤にやけた炭火の炭をよく落し、火口の端へ暫くあてがつて下さいスグにちらちらと發熱を始めます。
懷爐をこわす原因と油の振り出し方
火口の白金綿は炎を嫌いますから圖のやうな點火は禁物で遂にはその働きをせなくなります。
(※カイロを上下逆にして点火する絵が載っています)
焦って火口をフーフー吹く人がありますがこれは無駄な事で白金綿を吹飛して、温度が上がりません。
火口にキハツ油をかけない様に濡れると火付が悪くなりますこの時は炭火で乾かして使用して下さい。
油槽内部の圧縮綿を弄ぶと火口との空間に故障を生じ發熱を妨げますから決して觸つてはなりません。
不純物が溜つてキハツ油が入らない時や他の油を入れた時は口を下にして幾度も振り切つてから注油して下さい。
ハクキン懷爐の發熱原理
・熱に對する一般的な概念が物を燃すか、摩擦するより他に方法がないように思はれてゐますが、ハクキン懷爐の發熱作用は根本的に、それとは異なるのであります。
・この發熱の營みは、油槽に保有されたキハツ油より蒸發する水素ガスが、火口に装填された白金綿を通過する際に接觸熱を起すと云ふ、無機化學の原理を、熱量的に時間的に巧みに應用され、最初の發熱の營みより、油槽内キハツ油の完全蒸發まで、驚く可し廿四時間以上の均等温度を持續し、よく保温恒熱の目的を全うする新時代の保温具であります。どうぞ、この點、ご理解の上ご愛用を願上げます。
本舖
定價(何れも各一個)
角形・一円五十錢
角小形・一円四十錢
(・小形は婦人用に最適)
換火口・二十錢
目爐(一揃)一円
・全国薬店・百貨店に販賣せり
(中国語説明文・省略)(英語説明文・省略)(ハクキン眼爐広告・省略)
登録商標
ハクキン懷爐
新案登録 249642
新案登録 268916
外國特許 英、佛、伊、加
發賣元 矢満登商會 大阪靱
登録商標 白金懷爐
新案特許 白金懷爐
登録商標 白金懷爐
は
キハツ油の瓦斯が火口のプラアー綿に觸れて化學的に發熱し連續一晝夜六十度(C)内外の保温を致します。
火をつけるのはマツチにても点きますが炭火が一番よろしいガスローソクの火は絶對いけませぬ。
火口は毎日使つて三四ヶ月位いは十分保ちます火口にキハツ油をかけぬ様火口を吹かぬ様願ひます。
惡いキハツ油は火つき惡く温度も低いです赤貝印程度の油が一番よろしい油を入れすぎぬ様願ひます。
使用方法は必らず説明書をお讀みの上其通りにお使ひ下さい間違つた使ひ方は懷爐をこわします。
發賣元 矢満登商會 大阪市靱
登録 白金 商標(※間にあるのは孔雀の絵と白金の文字のハクキンカイロのトレードマークです)
新案登録 第二四九六四二號 第二六八九一六號
外國特許 英・佛・伊・加奈陀・
登録商標 ハクキン懷爐(換火口)使用法
(1) 容器を斜にしてキハツ油を静に少し宛入れ
(2) 眞中を押へ滴の出るだけ出して
(3) よくおこつた炭火か
(4) マツチを二本程すり上からあてがい被下さい
◇火口(プラアー綿)に最初に火をつけた時は内の方より順次黒色に変るに連れて火が廻ります
二度目からは黒色のまヽ火が点きます。
◇火口は炒らずたてにお持ち下さい横に持つと火口が痛みます。
◇火口(プラアー綿)は必ずぬらさす様ぬらすと取換へねば成りませんから特に御注意願ひます。
◇キハツ油は可成少ない目が宜しい、懷炉の中は決してイジクラヌ様願ひます。
◇途中では消さぬ様御不要の時はふとんの間へでも入れキハツ油を使ひ切て下さい
◇可成炭火でおつけ下さいマツチで燻ると火口が早くいたみますガスはいけませぬ。
◇少しでも火がつけば漸らく立てヽ置くと直ぐ火が廻ります決して吹かぬ様願ひます。
◇火口(プラアー綿)は一冬中使へますが二ヶ月目位に取換へるとよろしい。
◇容器にキハツ油が入らぬ時は逆に持ち力一パイ下向きに大きく幾度も振り古い殘りの水氣を出るだけ皆出し新しいキハツ油を入れて下さい。
◇キハツ油は赤貝印級の上質のものが適度ですが局方アルコール、局方ベンジン、市販のガソリンの上質のもの(無水アルコール三〇%含有まで)も使へます
□詳細なる説明書入用の方は發賣元宛ハガキにて御申越下さい
□ニセモノがありますハクキン懷爐の名稱に特に御注意願ひます
□ハクキン懷爐の附属品は換火口、容器内取換綿、其他袋、定量器何れも各薬店にあります。
發賣元 大阪市靱 矢満登商會
(※火口は二重に封がしてあって、内側の封は透明セロファンでした。そしてそのセロファンにこのような記載があります)
ハクキン懷爐用
換火口
新しい火口は純白です黒
くなつたのは旧い品です
PAT 249642
17-36
箱には「外國特許 英、佛、伊、加」とあります。当時から輸出していたのかもしれません。
原文はほとんど縦書きで、一部右書きです(算用数字のある行のみすべて左書き)
当時から通常版(角形)と小型版(角小形)があったのが分かりますが、火口は兼用だったようです(火口の説明書の絵に、両方載ってます)。このほかに小判形が別にあったようです。(定価一円)
さすがに昭和も二桁になると、もう既に消耗品は平成時代のモデルと兼用になっているようです。
当時日本はまだ尺貫法でしたが、二十五瓦(25グラム)という表記があります。ただ冷静に考えると、25mlのベンジンの重量は25グラムにはなりません。
火口は二重に厳封されています。説明書類の書き方を見ると、模造品や、使用後の火口を新品と偽って売る業者が横行していたようにも見えます。
発売元の名称は、矢満登商會になってたり矢滿登商會になってたり、昭和時代らしく適当です。ほかにも同じ漢字の字体が場所により違ってたりしました。可能な限りそのとおり書きましたが、字体が見つからないものは同じ意味の似た字体で代用しています。
1.各モデルの比較 2.燃料及びオプション 3.非純正オプション 4.ナショナルカイロ 5.各モデル比較表
6.点火の様子 7.大正モデル 8.昭和初期モデル 9.ポケット暖 10.サンパッド
11.高温放熱型点火芯付 12.点火芯付A 13.こはる 14.コンパクト 15.ハクキンカイロA(赤函)
16.ハクキンカイロA(青函)
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